Cloudflareの誕生 ~「よりよいインターネット」を求めて
~ Cloudflareの出発点は「スパムメールは、どこから来るのか」という素朴な疑問だった
この記事の目次
1. 法律家を目指していたCEOマシュー・プリンス
CloudflareのCEO、マシュー・プリンス(Matthew Prince)は1974年11月13日、米国ユタ州ソルトレークシティに生まれ、同州のパークシティで育ちました。2026年7月現在、51歳になっています。
コネティカット州のトリニティ・カレッジで英文学を専攻し、コンピューター・サイエンスを副専攻しました。その後、シカゴ大学ロースクールで法務博士号を取得し、さらにハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得しています。
マシューは、旺盛な好奇心と、遠い未来を言葉にする力を備えた人物です。細部を積み上げるというより、社会が向かう先を見て、大きな問いを立てるタイプなのです。英文学で培った表現力も備え、複雑な技術を人々が理解できる物語として語ることができます。投資家や社員を引き込んでいくような、魅力的な異彩を放っています。
一方で、自身も「細部には強くない」と認めています。そのため、次々と浮かんでくるアイデアを発展させ、構想を実行計画へ落とし込むための仲間を必要としていました。この足りないパズルのピースを補ったのが、創業メンバーのリー・ホロウェイとミシェル・ザトリンだったのです。
2004年、29歳だったマシューは、法律家の道を歩みながらも、インターネットの裏側に関心を持っていました。技術の力によって攻撃者の動きを捉えられないか。そこで始めたのが「Project Honey Pot(プロジェクト・ハニーポット)」です。サイバーセキュリティの世界で「ハニーポット(蜜壺)」とは、攻撃者をあえて誘い込むために設置する罠を指します。彼はウェブ上に甘い蜜となる「おとり」を置き、スパム業者を追跡しようと考えたのです。
2. コードで構想を形にしたリー・ホロウェイ
この発想を、実際に動く仕組みにしたのが、エンジニアのリー・ホロウェイ(Lee Holloway)です。
リーの詳しい生年月日は公式には公表されていません。推定では1981年ごろに米国カリフォルニア州で生まれ、シリコンバレーのクパチーノで育ったとされています。この情報が正しければ、2026年現在、44〜45歳になっているはずです。
リーはカリフォルニア大学サンタクルーズ校でコンピューター・サイエンスを専攻しています。性格は穏やかで、目立つことを好まない人物。人前で大きな構想を語るより、直面する課題を黙々とコードで解くことに喜びを感じていました。その一方、仲間に対してはとても気さくで、若い技術者に知識を分け与えることを惜しまない優しさも持ち合わせていたのです。
マシューが課題を言葉にすると、リーはコードで応えました。しかし、依頼されたものをそのまま作るだけではありません。将来、利用者や機能が増えたときにも耐えられるよう、数歩先まで考えて設計していたのです。こうして二人のProject Honey Potは185か国以上、数千のウェブサイトが参加するプロジェクトへと育ちました。
この間、プロジェクト参加者から繰り返し寄せられる要望がありました。
「悪者を見つけるだけではなく、止めてほしい」。
この一言が、単なる追跡の仕組みを、積極的に防御するサービスへと変える転機となります。
3. 事業に変えたミシェル・ザトリン
三人目の創業者が加わったのは2009年です。
ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを学んでいたマシューは、同級生のミシェル・ザトリン(Michelle Zatlyn)にProject Honey Potの話をしました。
ミシェルは1979年7月、カナダ・サスカチュワン州プリンスアルバートに生まれ、同地で育ちました。モントリオールのマギル大学で化学を専攻し、ビジネスを副専攻しました。その後、実務経験を積み、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得しています。Cloudflareの創業時には29歳でしたが、2026年7月現在は47歳になっています。
ミシェルは、いつも冷静で、実行力に長けています。マシューとリーが「何ができるか」を語るのに対し、ミシェルは「誰に届けるのか」、「いつまでに実現するのか」、「事業として続けられるのか」を考えます。
新しいアイデアを否定するのではなく、複雑な議論を整理し、優先順位を決め、具体的な行動へ変えていくタイプなのです。周囲の意見を聞きながらも、必要な場面では迷わず判断を下す、現実的な感覚も備えていました。マシュー自身も、ミシェルがいなければ、リーと二人で小さなオフィスに残り、「できるかもしれないこと」についていつまでも話していただろうと振り返っています。
ミシェルは、脅威を観測した膨大なデータを、攻撃を止めるサービスへ発展させる可能性を見いだしました。マシューの構想とリーの技術に、顧客、価格、組織、実行計画という現実の骨格を与えたのです。

2009年4月、マシューとミシェルはCloudflareの事業計画で、ハーバード・ビジネス・スクールのビジネス・プラン・コンテストに出場し、みごと優勝しました。当初は小規模サイトを対象とし、多数の利用者から得た知見を生かして、やがて大企業へ広げるという、後の成長モデルの原型が、そこにはすでに描かれていました。
ハーバードを卒業後、マシューとミシェルは西海岸へ移り、リーと合流しました。三人は2009年の夏に試作モデルに改良を加え、11月には最初の資金調達を実現します。まだ完成した製品も知名度もない会社が人材を集められたのは、「Helping Build A Better Internet (よりよいインターネットの構築を支援する)」という使命に、多くの技術者が引きつけられたからでした。
このころ、マシューは34歳、ミシェルは29〜30歳、リーは推定27〜28歳になっていました。年齢も経歴も異なる三人が、それぞれの強みを持ち寄ったのです。三人の個性の違いは、Cloudflareの弱点ではなく、強みになっています。
4. 「守ると遅くってしまう」という常識を覆す
Cloudflare開発初期の最大の懸念は、セキュリティ機能を加えるとウェブサイトが遅くなるのではないか、という常識的な疑問でした。ところが2010年6月、Project Honey Potの参加者に提供された非公開版では、サイトは安全に守られただけでなく、平均で約30%も速くなったのです。どうしてそんなことが可能になったのでしょうか? 脅威をブロックすると同時に、利用者に最も近い世界中のサーバーからコンテンツを配信する仕組み(CDN)を組み合わせることで、通信距離を物理的に縮め、速いレスポンスを実現したからです。Cloudflareは従来の常識を見事に覆してみせました。
そして9月27日、マシューとミシェルは、TechCrunch Disruptの舞台でCloudflareを正式に公開しました。利用者は、インターネット上の住所録のような役割を果たす「DNS(ドメインネームシステム)」の設定を切り替えるだけで、性能向上と防御の両方を同時に享受できるようになったのです。
そして9月27日、マシューとミシェルは、TechCrunch Disruptの舞台でCloudflareを正式に公開しました。

Cloudflareの利用者は、DNSの設定を切り替えるだけで、性能向上と防御の両方を同時に享受できるようになります。専門家だけが扱える高価で複雑な設備を利用するサイトではなく、小さなサイトにもインターネットの性能向上と防御を開放する、という手軽さ、その分かりやすさが支持を集め、ユーザー数は急速に広がっていきました。
当時の三人の役割ははっきりしていました。マシューは大きな未来を描き、人を巻き込みます。リーは、マシューの描いた未来を技術に変換します。ミシェルは二人のアイデアを、顧客へ届けられる事業に仕立てます。「ビジョン」、「技術」、「実行」という三つの力がかみ合ったからこそ、Cloudflareは大きく動き始めたのです。
5. リーとの別れ、そして上場へ
しかし、目を見張るような成長の裏で、三人の時間は永遠には続きませんでした。
リーには、2013年ごろから体調の変化が現れ、やがて前頭側頭型認知症(FTD)と診断されました。2015年、30代半ばだった彼は、Cloudflareを離れます。創業の前後から、Cloudflareの中核の設計を担ってきた技術者との別れは、マシューとミシェルにとって、会社の歴史の中でも特に重い出来事でした。
リーが去っても、彼の仕事の成果は、Cloudflareの中に息づいています。新しい機能を容易に追加できる柔軟な設計は、その後のCloudflareが事業を広げる土台となったのです。
2019年9月13日、Cloudflareはニューヨーク証券取引所へ上場しました。このときマシューは44歳、ミシェルは40歳でした。

社内で、上場計画に付けられたプロジェクトコードは、リーの名字から取った「Project Holloway」でした。技術的な礎を築いたリーへの敬意を表したのです。IPOの鐘を鳴らす場に彼の姿はありませんでしたが、会社は彼の名前を胸に刻みつつ、新しい段階へ進みました。
6. リーが遺したCloudflareの基本的な設計思想
リーの最大の功績は、Cloudflareを構成する個別の機能を開発しただけでなく、後にCloudflareがさらに成長できるようにする「ネットワークの設計思想」を作ったことです。
その一つが、Anycastを中核に据えたネットワークです。Anycastでは、世界各地の拠点が同じIPアドレスを通知します。利用者からの通信は、インターネットの経路情報を使って、近くにある適切な拠点へ自動的に送られます。仮に、一つの拠点に障害が起きても、通信は別の拠点へ向かいます。大量の通信を送りつけてサーバーをダウンさせる「DDoS(ディードス)攻撃」を受けた場合も、攻撃を一か所で受け止めるのではなく、世界中のネットワークへ分散させて、実質的に無害化できるのです。
このAnycastは、Cloudflareが発明したわけではありません。しかしリーは、AnycastをCloudflareのサービス全体を支える基本的な機構として採用し、セキュリティと高速化を同時に実現可能とする設計に落とし込みました。
もう一つの重要な考え方が、世界中の拠点を「一つのセル」のように動かす設計です。このドキュメントでは、これを便宜的に「OneCell」と呼ぶことにします。Cloudflareの公式な表現では、「Every service everywhere」となっているもので、すべてのサービスを、すべての拠点、すべてのサーバーで動かす、という考え方です。
従来のネットワークでは、CDN用、セキュリティ用、DDoS対策用というように、機能ごとに専用の設備、サーバーを用意するのが一般的でした。これに対してCloudflareでは、原則としてすべてのサーバーが同じソフトウェア群を持ち、さまざまな処理を実行しています。通信がどの拠点へ到着しても、そこで高速化、セキュリティ検査、アクセス制御などをまとめて処理できるのです。
このような均質な構造によって、新しい拠点やサーバーを加えるのが容易になります。また、それによって、特定の機能だけでなく、Cloudflareのサービス全体の処理能力が向上します。新機能も、短期間で世界に展開できます。
Anycastが、「利用者を近くの拠点へ導く仕組み」なら、OneCellは、「どの拠点へ着いても同じサービスを受けられる仕組み」です。この二つが組み合わさったことで、Cloudflareのネットワークは、世界中に分散しながら、一つの巨大なコンピューターのように動くようになりました。
公式の創業者書簡でも、リーは「プラットフォームを設計し、初期の技術チームを率いた天才」と表現されています。現在のCloudflareを支えているのは、リーが遺した、この拡張可能な設計思想だったのです。
上場後、Cloudflareはマシューの発信力とミシェルの経営力を軸に、スタートアップ向けサービスから、大企業や政府機関を支える基盤へと成長してきています。マシューは引き続き長期的な未来像を語り、ミシェルは顧客、組織、事業運営を拡大しました。さらに、ジャーナリストや人権団体、選挙関連サイトをサイバー攻撃から守る活動にも取り組み、事業の成長と社会的使命を結びつけています。
資金や人材の豊富な大企業だけでなく、小さな組織にもインターネットの防御を届ける無料サービスは、多くの利用者との接点を作ります。そこから得た脅威情報によって、システム全体の防御を強くし、やがて大企業へ利用を広げる成長の仕組みにもつなげています。ここにも創業時の考え方が生きていると言えるでしょう。
7. 現在のCloudflare ― 防御から開発環境とAIへ
現在のCloudflareは、ウェブサイトを高速化し、攻撃から守る会社という枠にとどまりません。創業時から築いてきた世界規模のネットワークを、企業活動やアプリケーション開発にも開放しています。
Developer Platformの中心となるCloudflare Workersでは、利用者に最も近いエッジ上で、開発者がプログラムを実行できます。開発者はサーバーの構築や保守を意識することなく(サーバーレスで)、書いたコードを瞬時に世界中へ展開できる仕組みです。ストレージやデータベースも組み合わせられ、Cloudflareは「情報を届ける場所」から「サービスを作り、動かす場所」へと進化しています。
AI分野ではWorkers AIを提供し、Cloudflareのグローバルネットワーク上でAIモデルを実行できるようにしています。開発者は自らGPU設備を用意しなくても、必要な分だけAIの推論機能を利用できます。AI Gatewayなどを通じて、AIアプリケーションの利用状況や安全性を管理する機能も備えています。
企業向けとしては、Cloudflare Oneを中心に、「Zero Trust(ゼロトラスト)」という考えに基づくセキュリティ機能を展開しています。「社内ネットワークは安全である」という従来の境界防御やVPNだけに頼るのをやめ、通信経路のあらゆる場面で「誰が、どの端末でアクセスしているか」を厳格に確認し、必要なシステムへのアクセスだけを許可する仕組みです。
これらは、それぞれ別々の新規事業に見えますが、土台は同じです。利用者に近い場所で、通信を速く、安全に処理する、というリーが設計した柔軟な基盤上で実現されています。そこに、新しい用途を加え、マシューとミシェルが市場を広げるという、創業以来の進展が今も続いているのです。
顧客は最初にウェブサイトの保護を導入し、その後、社内ネットワーク、アプリケーション開発、AIへと利用範囲を広げていくことができます。Cloudflareにとっては、一度築いたネットワークを複数のサービスに活用し、顧客との関係を長く、深くできる構造というわけです。
現在、Cloudflareのネットワークは125か国以上、335を超える都市へ広がり、Fortune 500企業の42%が有料顧客となっています。2025年の売上高は21億6,800万ドルに達し、2026年第1四半期の売上高も前年同期比34%増の6億3,980万ドルを記録するなど、AIの波に乗ってさらなる成長を続けています。2004年に始めた小さな実験が、今や世界規模のインフラ企業へと発展を遂げたのです。
それでも、この成長を数字だけで理解しようとすると、Cloudflareの本質を見失ってしまうかもしれません。始まりにあったのは、「悪意ある行動を見つけるだけでなく、止められないか」という問いでした。Cloudflareの成長史は、製品とネットワークが大きくなっていった歴史であるという以上に、一つの問いを人から人へ受け渡し、時代に合わせて新しい答えを加えながら、組織の使命として育ててきた物語なのです。
出典
